BIOGRAPHY

磯部 正文 [ イソベ マサフミ ]

Masafumi Isobe Birth:1972.4.15

磯部正文は72年4月15日に広島で生まれる。音楽でメシを食うために上京するが、本格的な音楽キャリアは94年の7月に始めたバンドのHUSKING BEEからだ。4人編成だった当初の担当パートはギター/コーラスだったが、もともとシンガー志向が強かった磯部はメンバー脱退でトリオになった時からリード・ヴォーカルも務めることになり、ほとんどの曲を書いたことも含めてフロントマンとしてバンドを引っ張っていく。95年の12月にはアナログ盤のEPでレコード・デビュー。1年後には当時Hi-STANDARDの横山健のプロデュースでファースト・アルバム『GRIP』をリリースする。HUSKING BEEはメロディック・パンクと言われたが、速くてスポーティーな”メロコア”とは一線を画し、切ないメロディの曲をじっくり聴かせるところも魅力だった。当時の同じフィールドのバンドたちと比べて歌が際立っていたのである。後にエモと呼ばれるような曲も早くからやっていたとも言えるが、磯部のヴォーカルは当時からあくまでも熱く、詩情豊かな歌心があふれていた。コンスタントなライヴとリリースの活動を続けていくうちにハスキング・ビーは少しずつファンを増やしていき、気がついたら日本の”ラウド・ロック”のムーヴメントの渦中にいた。その中核だったHi-STANDARDらが主催した野外ライヴ・イベントの”AIR JAM”に、97年、98年、2000年の3回すべてに出演したことが象徴的だ。

そんな感じで順調に見えたHUSKING BEEだが、2005年1月のステージ上で突如解散宣言。その時の磯部の「わけは聞かないでほしい」という言葉が示すように苦渋の決断で、5枚のフル・アルバムと数枚のEPを残し、惜しまれながらも同年3月のライヴで活動に終止符を打ったのである。

実のところ磯部はHUSKING BEEが動いている時から、サイド・プロジェクトのコーナー(CORNER)を始めていた。アコースティック・ギターだけではなく一人だけでもなく、あまり型にハマってない感じの音楽を作る集団という形態で、アルバムは『走るナマケモノ』(2003年8月)と『入り口出口』(2006年7月)をリリースしている。

でも磯部はバンドをやりたかった。大変だからこそ面白いバンドならではの醍醐味を味わいながら音楽を続けたかった。だからHUSKING BEE解散の1年後の2006年3月に、MARS EURYTHMICSをスタートさせる。ここでも磯部がソングライターだったが、HUSKING BEEとは違ってメンバーの音楽的な好みが近いバンドではなかったから、あまり方向性を決めずに書きたい曲を書いて2007年に2枚のCDをリリース。歌を大切にしつつ色々なことをやり、『The blend of a cabanon』では曲の中にファンクやハードコア・パンクも挿入していたが、それも磯部のアイデアだった。

メンバーが替わりながらもMARS EURYTHMICSはライヴを続けていたが、2010年3月に活動停止。
2009年の6~7月頃から定期的に、磯部がアコースティック・ギター弾き語りのソロ・ライヴをやっていることを御存知の方も多いだろう。それは他のメンバーの仕事の都合でライヴがなかなか組めずに始めたことだった。そんなメンバーたちの意見にも促され、磯部はソロで音楽活動を続けていくことを決意する。

早くも2009年12月からソロ用の曲を作り始め、4ヶ月ほどでアルバム一枚分の曲を書き上げた。バンド活動と対になった弾き語りライヴとは違い今は磯部が動かしているバンドがない状態だから、基本的にはいわゆるバンド編成での録音を想定しているようだ。

そのうちの2曲を正式にレコーディングしたヴァージョンでぼくは聴かせてもらったが、一曲は英語の歌詞、一曲はツー・ビート・ナンバー。前者は意識的に、後者は無意識のうちに、ハスキング・ビーの末期から磯部がほとんど封印していたスタイルだから驚いたが、どちらもBEAT CRUSADERSのヒダカトオルのアイデアだという。ヒダカは長年あまり使ってなかった磯部の”引き出し”を開けていき、”一番いい着物をなぜあなたは着ないんですか?”という具合に助言。磯部の良きリスナーでもあるヒダカは、HUSKING BEE時代からのファンの気持ちもわかっている。

磯部は立ち返った。

もちろん決して後ろ向きの曲じゃない。こんなに生き生きと伸び伸びと気持ち良さそうに歌いギターを弾く磯部は、久しぶりだもの。ジョーイ・ラモーン(RAMONES)は言っていた。過去にさかのぼらなければ先に進めないと。これぞ磯部正文!と言いたくなる曲だから、ホント、早くみんなに聴かせたい。

行川和彦